【赤枝医院】弛緩出血で死にかけ救急搬送され輸血と卵巣摘出なった命がけのお産

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前回記事で、出産から帝王切開での分娩までを書きましたが、帝王切開で胎児摘出後に弛緩出血で出血が止まらなくなりました。

赤枝医院での出産は予定日超過で計画分娩になりさらに緊急帝王切開に
前回の記事で分娩する医院を多摩市の赤枝医院に決めて、妊婦検診に通っている話をしましたが、とうとう出産してきました。 出産は命がけと言われることが多いですが、本当に命がけになってしまうトラブル続きのお産でした。 しかも赤枝...

今回は、その後のお話です。

結果的に、一命は取り留めたものの、緊急輸血を行い赤枝医院では対応が難しく日本医科大学多摩永山病院に救急車で救急搬送されました。

その後、卵巣摘出となりなんとか止血は完了したものの、数度に渡る手術でICU(集中治療室)に移ったのはお産開始から18時間後と、長い長いお産になりました。

ですが、勘違いしてほしくないので先に言っておきますが、赤枝医院の先生方は本当によくやってくれたと思っています。

赤枝医院で帝王切開中に弛緩出血で大量出血

緊急帝王切開で赤ちゃんを無事に産むことはできたのですが、その後、出血が止まらなくなりました。

出産における大量出血については、日本産婦人科学会が出している下記のガイドラインも参考になります。

産科危機的出血への対応ガイドライン

弛緩出血とは

弛緩出血とは、出産で赤ちゃんと胎盤をお腹から出した後、血が止まらずに出血し続けてしまう恐ろしい状態です。

本来なら出産後は子宮の筋肉は急速に収縮して血が止まるようにできており、この時に起きるのが後陣痛なのですが、これが起きないことがあります。

だいたい、全分娩の5%程度で起こる可能性があるそうで、母体が肥満だったり妊娠高血圧症候群だったりする場合にリスクが上がるそうです。

また、お産が長引いたり陣痛促進剤を使っている場合も弛緩出血になる可能性があがるそうです。長いお産や薬の影響で子宮が疲れてしまうみたいです。

私は肥満でも妊娠高血圧症候群でも無いのですが、陣痛促進剤を二日に渡り進めており、こういったことが原因になった可能性はあります。

国立成育医療研究センター「弛緩出血とは」

緊急輸血と卵巣摘出

産科危機的出血への対応ガイドラインでは単胎児の帝王切開時では1.5Lが分娩時出血量と定められており、2Lを超えると輸血の考慮とされています。

実際に赤枝医院では帝王切開では大体1Lくらい出血すると言われました。

17時に始まった私の帝王切開ですが、19時に夫が話を聞いた時点では「既に1.2Lくらい出血しており、さらに卵巣に血腫が見られる」とのことでした。

血腫は血の塊なので、これを入れるとすでに2L近く出血している可能性があり、すぐにでも輸血するとの話もあったそうです。

20時には再度医師から、「血腫を取る際に卵巣も取らないとけなくなる可能性があること、片方の卵巣を取っても第二子の妊娠は可能であること、すでに全身麻酔に変更して手術を行っていること」などを説明されました。

同時にバルーンを入れて子宮内の出血は止まったとのことでした。

バルーンによるタンポナーデを用いた止血方法はこちらに書かれています。

止血と同時に子宮の収縮も戻りつつあるとのことでしたが、引き続き全身管理が必要な状態であることには変わらず、総合病院へ搬送するとのことで救急車を呼びました。

20時半には血液センターから輸血用の血液が届き、輸血の開始

たまに見かける血液運搬車のお世話になるとは・・・

輸血は赤血球製剤と血小板製剤、どちらも入れました。

救急搬送

輸血もして、バルーンを子宮内に入れて、圧力で止血をしている状態ではありますが、引き続き全身管理が必要とのことで提携している日本医科大学多摩永山病院へ救急搬送されました。

赤枝医院では輸血に使う血液なども無く、医師の数や設備も限られているので安全を期しての救急搬送とのこと

一時は出血が多く危険な状態だったことを知らされました。

バルーンは仮の止血であり、根本的な出血の原因を調べたり、他の箇所からの出血が無いかなども調べる必要があるとのことです。

救急車はコロナ化で到着が遅れており、こんなところでコロナの影響を受けるとは・・・

多摩市区域の救急車は出払っており、八王子市から救急車が来たそうです。

搬送時のバイタルは血圧が85の50と低めで麻酔の影響もあると思いますが、これだけで危機感は伝わりますね。

救急車に乗り込む際には一旦麻酔を切り覚醒し、夫とも対面

そのまま一緒に日本医科大学多摩永山病院へ移動し、手術の対応や入院の手続きなどもしてもらうことになります。

日医大永山病院で卵巣摘出とICU入院

永山病院到着後は、出血の原因を調べ夜通し手術をしました。

検査とCTで子宮摘出は免れる

永山病院ではまず、仮止めしてあった帝王切開の傷口を開き、中を再度検査しました。

医師から夫には「最悪、子宮全摘出もあり得る」と説明されていたそうですが、とりあえず止血もできているのでこの段階での子宮摘出は免れました。

CTを撮り、出血状況を確認し、その後、止血のための手術に移ります。

3度目の開腹手術

帝王切開、そして検査のためにお腹を2度切り開いていますが、次は止血のための手術

麻酔の管を喉から入れて、全身麻酔での手術です。

この時点で時刻は既に24時過ぎ

赤枝医院で15時から始まったお産も、すでに9時間経過しています。

2時間程で終わると言われていた手術ですが、結果3時間以上かかり家族もかなり心配していたようです。


リゾートとはかけ離れた、永山病院の待合室

手術の結果は、片側の卵巣から出血しており、血腫があったため片側の卵巣摘出となりました。

大量の輸血により肺に水が溜まっているので喉に入れた管などはそのままとなりましたが、これにて手術は終了

赤枝医院では、傷口が目立たないように横に切ってくれたのですが、横よりも縦に切開した方がしっかりと手術できるそうで、永山病院では縦に切られたので、帝王切開の傷は逆T字になりました。

もちろん、人命優先ですし、今更見た目のことは気にしません、無事に手術が終わってなによりです。

ただし、止血に使っているバルーンは2,3日存置したままとなり、しばらくはICUへの入院になりました。

今度はバルーンを除去するときに出血するとまた手術になるそうです。

赤ちゃんの救急搬送とNICUへの入院

これで、長かったお産も終了し、無事に母体も一命を取り留めました。

ICUへ入院して夫と対面し、落ち着いたのは朝5時過ぎでした。

トータル15時間も分娩にかかりました。

長かった・・・

でも、ここで問題になったのが赤ちゃんのこと

赤枝医院で帝王切開による出産になったので、赤ちゃんは赤枝医院の新生児室にいます。


ベビーがいる赤枝医院の新生児室

ですが、母親である私は永山病院に

永山病院からは、「赤ちゃんはこっちに連れて来ても良いし、赤枝医院で見てもらっていて母体が落ち着いたら赤枝に帰っても良い」と言われました。

さてどうするか・・・

永山病院の助産師と相談して、赤ちゃんを永山病院に連れてくることにしました。

赤枝医院のリゾート気分を味わえないのは残念ですが、また出血したら怖いですし、さすがに総合病院の方が安心です。

コロナで永山病院は面会不可となっており、母子センターに夫は入ることができないのですが、術後のケアなども考えたら母子ともに永山病院にいた方が良いと思いました。

そうなれば赤ちゃんを連れて来なければなりません。

新生児の移動は救急車ということで、赤枝医院の方で手配して夫の立ち合いのもと、赤枝医院の助産師さんが付き添ってくれて赤ちゃんを運んでくれました。


こんなに小さいにのに早くも救急車で移動

永山病院では、コロナの影響もあって1日隔離した後にNICU(新生児集中治療室)に入院となりましたが、その後のPCR検査も問題無く、無事に赤ちゃんも転院完了

生後2日でPCR検査をするとは・・・時代ですね。

そのころには、私も止血で入れていた子宮内のバルーンも無事に取り除くことができ、CTなどを撮っても術後の経過は良好

保護器越しですが、赤ちゃんに触れることもできました。

帝王切開中に少し見ることはできましたが、初めてやっとこの手で触れることができました。

ICUでは電話はできないのですが、オンライン面談やスマホを弄るのは自由で、夫ともオンライン面談して、新生児の手続きなどをしてもらいました。

それから、母乳指導などで使う道具やそのほかの入院グッズも夫に赤枝医院から運んでもらいました。

転院の手続きなどもあり、二つの病院を行ったりきたりと、大変でした。

母子センターでの生活

ICUを退院したら、永山病院の母子センターへ移動になりました。

ICUに居る間は飲み物も飲めなかったので、やっと解放された・・・

ご飯もすぐには食べられなかったのですが、徐々に回復してきています。


数日間は移動するのは車椅子

まだ、お腹は物凄く痛いけど・・・

母子センターでは電話コーナーでは自由に電話することができ、何よりいつでも赤ちゃんに会いに行けます。

ICUでは触れ合える時間が限られていましたから。

数日後からは母乳指導も始まりましたが、助産師さんもみんないい人でした。

赤枝医院みたいに綺麗でリゾートという訳ではありませんが、とても満足な産後の時間でした。

まとめ

2回に渡る出産時の記事でした。

事前の検診では問題なかったのですが、結果的に長く辛いお産になってしまいました。

それでも、長かった不妊治療を考えれば、そして我が子に会えた幸せを考えれば、耐えられます。

私の体験談を見て、怖くなってしまう妊婦さんもいるかもしれませんが、日本では出産時の医療は進んでおり、重大な事故の確率は限りなく低いです。

私の場合も、赤枝医院では事前の検診から産道が狭そうということで、私のお産の時は医師が対応できる時間にやることになっていたそうです。

まさに、スペシャリストな対応ですね。

そして、転院した永山医院でも、夜通し手術をしてくれて適切な処置をしてくれましたし、医師も看護師も助産師もみんな優しく、感動しました。

総合病院だけあって同室の妊婦さんも、妊娠高血圧症や多胎児などで大変そうな方が多かったですが、それでも赤ちゃんもお母さんも無事に出産を終えることができる現代医療に感謝です。

私の様に大変なお産になる人は稀だと思いますが、出産は命がけという言葉は大げさではありません。

実際、コロナ禍の影響で救急車の到着がもっと遅れていたり、受け入れ病院が無かったら・・・

輸血する血液を届ける車が雪などの災害で到着しなかったら・・・

考えるだけでも恐ろしいです。

それでも、多くの人が赤ちゃんのために協力して、今ではほとんど事故なども無く出産できるようになっているので、安心してほしいです。

産まれた赤ちゃんを見たら、絶対に産んで良かったと思えるハズ

私は、結果として輸血、卵巣摘出になりましたが、もう一個卵巣は残っていますし、母子ともに今は健康でとっても幸せです。

7年以上かけた不妊治療がやっと第一子の誕生という結果に繋がった瞬間でした。

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今後は新米ママ、新米パパとして子育てに追われながらも、残されたもう一つの卵巣で第二子に向けて不妊治療をいつか再開したいと思っています。

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